手垢のついた表現を避ける・・絨毯敷きつめ
五月晴白い絨毯敷き終わる
↓ ↓ ↓ 添削後
晴天や五月の白き花敷きつめ
- 「白い絨毯」・・手垢のついた表現
- 白い絨毯が水芭蕉の比喩にすらなっていない
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- 作者の思い 「五月(季語)」「晴」「白」「敷き」生かす
- ○○の光景を描く⇒白い水芭蕉の花が敷きつめられた初夏の尾瀬
夏めく尾瀬白き絨毯夢心地
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夏めく尾瀬ましろき夢のごとき花
「夏めく尾瀬」で「白き絨毯」が水芭蕉の比喩だと分かります。
水芭蕉=白い絨毯 という手垢のついた表現を避けます。
一句の調べが「夏めく尾瀬 / 白き絨毯 / 夢心地」とプチプチ切れているのも良くないです。
→夢心地というのも紋切り型の表現で、詠んでいる本人が夢心地で切れるのではなく、景色全体が夢の世界・・余韻が残るように
目の前に広がる、非日常的な真っ白い花の景色。初夏の訪れだ。まるで夢の中の世界のようだ。
景色をただ景色として詠むというのも俳句の表現手法ですが
- 凡庸にならないような構成上の工夫
- その中に暗意を織り込む
歓びだとか、生命力への共感→生きる活力とか - 息を呑むような美しさ。。など(O)
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